世界は広い「誰にでも居場所はある」

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幼少期、私はとても人見知りで大人しい性格でした。
そんな私を見ていた母は、幼稚園や学校で馴染めなかったとしても「そこだけが居場所じゃないよ!」ということを感じてもらえればとの想いから、いくつか習い事をさせてくれていました。
決して、英才教育の為ではないので、あくまで私が自ら「やってみたい」という意思を見せたもののみでした。
とは言え、人見知りながら好奇心はあったようで 笑
幼稚園からエレクトーン、小学校からは英会話、書道、水泳、陸上、ダンス…等々経験した習い事はそれなりの数。
幸い学校の方でも楽しく過ごすことができ、母が想定?していたように「自分の居場所に悩む」ということはほぼありませんでしたが、
それでも「学校に行けば学校の友達がいる」、「エレクトーンに行けばエレクトーンの友達がいる」、「英会話に行けば英会話の友達がいる」…という環境は、無意識のうちに気持ちを軽くしてくれていたなあ、と大人になった今だからこそ感じます。

(それと同時に感謝の気持ちも)
例え学校で嫌なことがあっても、上手く馴染めないと感じても、そこだけが全てではないし、そこだけが自分の居場所ではない。
必ず自分に合った場所というのは存在するもので、ほかに目を向ければ良い。
シンプルだけれど意外と難しいこの発想。
私が自然とそいう考え方ができるようになったのは、やはり母の影響が大きいと思います。
そんな母のもと経験させてもらった数々の習い事の中で、私が特にのめり込んでいったのが英会話でした。
英語そのものもそうだけれど、やっぱり色々な国の人と出逢って、色々な価値観を知る感覚が好きだった。
…というと何だか真面目腐った表現で違和感ありなのですが、いずれにしても「日本にはない感覚」というのに魅かれていたような気がします。
英会話ではネイティブの先生を交えて、一緒に通っている子たちと歌を歌ったり踊ったりしていましたが、あの明るい雰囲気がとにかく好きでした。
それはまた日本の友達と遊んでいる時の楽しさとは違って、とにかく明るく元気な気持ちにさせてくれたものです。
そんな経験が積み重なってもっと学びたい、もっと色々な世界を見てみたいと、色々なことが繋がっていき、
結果として、アメリカ ディズニーワールド圏内で仕事をしたり、客船で世界を廻る仕事を経験することにもなりました。
改めて今感じるのは「やはり誰にでも自分の居場所というのは存在する」ということ。
それは幼少期に無意識に感じていた「もし学校に馴染めなくても習い事に行けば習い事の友達がいる」の感覚の延長のような気がします。
「日本に違和感を感じたらアメリカという国もある」、「イギリスもある、中国もある、インドネシアもある、アフリカもある…」
極端に感じる方もいるかもしれませんが、実際にそうするかどうかは別としても、そういう事実を認識するだけで、ずいぶん楽になる場合もあるのではないかと常々感じています。